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19 東京本染ゆかた(とうきょうほんぞめゆかた)

19 東京本染ゆかた(とうきょうほんぞめゆかた)
主な製造地
江戸川区、足立区、葛飾区ほか
指定年月日
昭和58年12月27日
伝統的な技術・技法
  1. 型紙は、柿渋を用いて手漉和紙(てすきわし)をはり合わせた地紙又はこれと同等の地紙に切り込みをしたものとする。
  2. 型付けは、手作業により行う。
  3. 染色は、手作業で注入方法により行う。
伝統的に使用されてきた原材料
綿織物
沿革と特徴

浴衣という言葉は、平安時代初期の「延喜式」(えんぎしき)の中にもみえますし、「和漢三才図会」(正徳3年、1713年)に「浴衣(よくい)、内衣(ないい)、明衣(めいい)和名湯加太比良(ゆかたびら)、俗に由加太という浴帷子(ゆかたびら)と訓ず」とあります。

当時の寺院には付属的な建物として浴堂(風呂場)が設けられていました。

この浴堂での沐浴の際には、肌を見せてはいけないと固く戒められており、必ず単衣をまとって入浴していました。これが「浴帷子」で、別に「明衣」などとも呼ばれていました。

その素材の多くは白の生絹でしたが、後には模様のあるものも用いられたようです。この「浴帷子」は時代とともに「湯具」(ゆぐ)「見拭」(みぬぐい)「湯巻」(ゆまき)「腰巻」など様々な言葉が使われるようになっていきます。

呼び名が変るにともない、用途も少しずつ変化していきました。そして、江戸時代の中期には湯上がりのときに着る着物をいうようになりました。

幕末の浮世絵には浴衣をまとった美人図がたくさんあります。湯屋での入浴がひとつの風俗として定着していたことを示すものといえましょう。

こうした湯屋の発達は、いきがる「江戸っ子かたぎ」とあいまって、湯上がりに着る浴衣を質量ともに向上させることになりました。

さらにもうひとつ忘れてはならないものは、芝居からの影響です。

歌舞伎十八番「助六」では、かんぺら門兵衛が藍で染めた白地の真岡木綿(今の栃木県真岡で産出した木綿)の浴衣をひっかけて、帯をしないで登場してきます。

今では浴衣といえば、縁日、祭り、夕涼み、花火などとともに、夏の風物詩として欠かせぬものとなっています。

こうした夏の普段着として浴衣が定着したのは、明治に入ってからのことです。

連絡先
産地組合名関東注染工業協同組合
所在地〒124-0012 葛飾区立石4−14−9 東京和晒(株)内
電話03(3693)3333
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