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23 江戸押絵羽子板(えどおしえはごいた)

23 江戸押絵羽子板(えどおしえはごいた)
主な製造地
墨田区、江東区、葛飾区ほか
指定年月日
昭和60年7月15日
伝統的な技術・技法
  1. 押絵づくりは、型紙と布地の間に綿を入れコテで糊づけする。
  2. 面相描きは、上塗り胡粉で表面を滑らかにした後、面相筆を用いて、目・口・鼻などを描く。
  3. 組上げは、押絵の終った各部分を裏側から和紙を用いて、コテで糊づけする。
伝統的に使用されてきた原材料
板に使用する用材は、キリ。
押絵に使用する布地は、絹織物又は綿織物とし、内部は綿。
髪に使用する糸は、絹糸。
沿革と特徴

師走の声も中頃、17日から19日までの3日間、台東区浅草寺の境内で、江戸の昔そのままに羽子板市が開かれます。三方の壁にびっしりと羽子板を飾り立て、色とりどりの羽根とともに、景気のいい手打ちが響き渡り、年の瀬を迎える名物行事の一つです。

羽子板は、古くは「胡鬼板」(こぎいた)や「羽子木板」(はねこいた)とも呼ばれ羽子(羽根)は、「胡鬼の子」「はごの子」「つくばね」とも呼ばれていました。

室町時代の永享4年(1432)正月5日に、宮中で宮様や公卿・女官などが集まって、男組と女組に分かれ「こぎの子勝負」が行われたと記録に残っています。

当時の羽子板には、板に直接絵を描いた「描絵羽子板」(かきえはごいた)や、紙や布を張った「貼絵羽子板」(はりえはごいた)とともに、胡粉で彩色し、金箔、銀箔等を押したり蒔絵をほどこした豪華で華美な「左義長羽子板」(さぎちょうはごいた)もありました。

一方、江戸時代に入ると、厚紙等の台紙に布を貼ったり、あるいは布に綿をくるんで厚みを持たせた部品をつくり、それらを組合わせて立体的な絵を作る「押絵」の技術も発達してきました。

江戸時代の文化文政期(1804−29)になると、町人文化が発達し、歌舞伎の隆盛とともに、浮世絵師が数多く活躍し多くの出版物が出されました。

こうした時代を背景に押絵の技術が進歩し、歌舞伎役者の似顔絵を付けた「役者羽子板」がつくられるようになり、爆発的な売れ行きをしめしました。

年の瀬ともなると、その年の人気役者の当り狂言や舞台姿を、競って求めるようになり、羽子板の売れ行きが人気のバロメーターともなりました。

連絡先
産地組合名東京都雛人形工業協同組合
所在地〒111-0052 台東区柳橋2−1−9 東商センタービル4階
電話03(3861)3950
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