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29 東京打刃物(とうきょううちはもの)

29 東京打刃物(とうきょううちはもの)
主な製造地
足立区、荒川区、台東区ほか
指定年月日
平成元年7月26日
伝統的な技術・技法
  1. 鍛接は、地鉄(じがね)部分と鋼の間に硼砂(ほうしゃ)を入れ、約900℃で加熱し、速やかに金槌でたたいて接合する。この際、加熱しすぎて、鋼の成分を損なうことのないよう注意する。
  2. 焼鈍(なまし)は、火床で加熱した後、炭の粉、又はわら灰の中に入れ、自然に冷却させる。
  3. 焼入れは、火床で約800℃に均一に赤めたものを、水中で急冷することにより、刃物に硬度を加える。
  4. 焼入れした刃物は、火床の上で低温で加熱し、品物の肌色を見ながら焼戻しを行い、刃物に適当な靭性(ねばり)をもたせる。
伝統的に使用されてきた原材料
鋼(はがね)、地鉄(じがね)
沿革と特徴

「日本書紀」によると、わが国で鍛冶が行われるようになったのは583年、敏達(びだつ)天皇(第30代572−585年)の時代に新羅から鍛冶工が招かれ、はがねの鍛冶法を習ったのが始まりといわれます。

武士階級が台頭するにつれて刀剣職人が現れ、技術も磨かれて、やがて、軟らかい鉄で造り、刃の部分にははがねをつけるという着鋼法によって、ソフトでしかも切れ味の鋭い日本独特の刃物が生まれました。

1603年、徳川家康が江戸幕府を開くと各地から商人や職人が江戸に移住し、幕府の御用職人の中には、鋳物師や打物鍛冶師の名前も記されています。

江戸の総合案内ともいうべき「江戸鹿子(えどかのこ)」には刃物に関する鍛冶の記録があり、地打のものを扱う出刃包丁屋があったこと、刀鍛冶が本業のかたわら剃刀や包丁などの刃物を作っていたことがわかります。

江戸時代も中期に入り太平の世が続くと、刀鍛冶の技術を生かして、日常生活に必要な道具や刃物の製作にたずさわる、いわゆる町鍛冶に転向する者も出てきました。

さらに江戸幕府が崩壊し、明治4年(1871年)に廃刀令が公布されると、ほとんどの職人は刀剣から業務用、家庭用刃物づくりに転業せざるをえなくなり、彼らは文明開化とともに伝来した洋風刃物の製作にも取り組みました。

連絡先
産地組合名東京刃物工業協同組合
所在地〒175-0094 板橋区成増2−26−18−101
電話03(6904)1080
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